「府立学校の在り方懇話会」の「まとめ」に対する見解

子どもたちや父母の願いを打ち砕く府立高校つぶしと差別・選別・競争の「特色づくり」「多様化」・教育リストラを推進し、障害児教育の課題に応えない「提言」では京都の子どもと教育の未来は開けない

2002年1月26日
京都府立高等学校教職員組合執行委員会

2000年5月に京都府教育委員会(府教委)が設置した「府立学校の在り方懇話会」(以下「懇話会」)が、さる1月15日に最終報告「府立学校の在り方について(まとめ)」(以下「まとめ」)を発表した。以下に私たちの見解を述べるものである。

高校教育部会の「まとめ」について

1.どういう「在り方」を示しているか

高校教育部会の「まとめ」の要点は次の通りである。
(1) 普通科について、学校ごとの「役割分担」を打ち出すとともに、「特色化」の名による単位制・総合選択制や総合学科等への転換を強調している。

(2) 嵯峨野高校の「京都こすもす科」など新しいタイプの専門学科の推進、総合学科を「高校教育改革の理念を体現するパイオニア的役割を期待」と賞賛し、設置を強調している。

(3) 昼間部を設定した多部制の定時制高校の設置と、全日制課程と夜間定時制課程の併設の解消を求めている。

(4) 中高一貫教育について、京都府においても積極的に検討すべきとしている。

(5) 入試選抜について、受験機会の複数化や入試の弾力化などの入試選抜の「多元化」、さらに総合選抜制度の廃止を打ち出している。

(6) 府立高校の「適正規模」として、普通科単独校は「1学年8学級程度」、総合学科単独校では「6学級程度」が望ましいとしている。また、通学区の拡大と「特色ある学校や学科」をバランスよく配置するよう求めている。

(7) 「府立高校全体の再編整備に係る計画を策定」を求め、高校の統廃合を打ち出している。また分校については、さらに明確に「再編統合」を検討すべきとしている。

各紙の報道では、府教委は今年の秋にも統廃合の対象校や学科改編の大綱をまとめるとしており、早ければ2004年度入試から廃校対象校の募集停止がはじまる計画である。京都の教育の大改編をすすめようとする重大な「まとめ」である。

2.地元の子どもたちが学ぶ普通科をつぶし、差別・選別の場とする重大な改悪

「まとめ」は、普通科のあり方を大きく変える方向を打ち出している。
第1は、破綻が明らかになった現行の類・類型制度にいまだにしがみついていることである。
「まとめ」では、「従前の教育システムでは十分に対応しきれ」なくなったために普通科に類・類型制度が導入されたが、「類・類型内での生徒の…一層の多様化」が見られるため、普通科の「特色化」を打ち出したとしている。
この認識は大きな誤りである。類・類型制度は、 II 類やいわゆる「1.5類」を中心にした進学の実績競争や、Ⅲ類を中心とした選手集めという、「いい子取り競争」を激化させてきた。それが多くの生徒たちの意欲と可能性を奪い、相次ぐ「希望枠」の拡大と II 類の「適正配置」は、公立高校に厳然たる学校間格差とランクづけを生み出してきた。こうした差別・選別の類・類型制度が明らかに破綻していることは、「懇話会」の議論の中でも指摘されていることである。こうした実態を見ずに、問題を生徒の「多様化」と少子化のみに矮小化するという不見識ぶりを示している。科学的な実態分析や学校現場の意見を聞かずに、机上の論議から導き出されてきた「結論」であると言わなければならない。そもそも類・類型制度は府教委が強引に押しつけた制度であり、子どもたちの要求とは無縁の制度である。
第2は、普通科の「役割分担」論を強調し、学校間格差の拡大と序列化の方便としていることである。
「まとめ」は、「学校ごとにそれぞれの特色を一層明確」にし、「複数の学校が役割を分担」することで「多様性を確保」するとしている。わざわざ「関連意見」として、「通学圏の中で、…すべての学校に第 II 類を置く必要はない。学校ごとに分担すればよい」という意見を紹介している。この「役割分担」論が、一部の高校を「 II 類校」にすることを構想していることは容易に想像できることである。学校間格差を一層拡大し、「できる子」の高校、「できない子」の高校という、深刻な高校の序列化をもたらし、子どもたちを非人間的な「輪切り」というゆがんだ「進路指導」に追い込んでいくことは火を見るより明らかである。
一部の府立高校では、こうした大改悪がすでに先行して企図されている。南部のある府立高校では、「国公立大学対応の進学校」をめざすと公言して、露骨に「 II 類校」を指向している。他校でも管理職が「進学実績」を上げるために異常な叱咤をしていることが報告されており、「特色化」の実態が「有名」大学進学に偏ったものであることを示している。こうしたことは公立高校の本来の役割を真っ向から否定する、公教育の自殺行為であると言わなければならない。
第3は、地元の生徒が通う「地域の高校」を根こそぎ破壊することである。
京都の公立高校は、「15の春は泣かせない」という民主府政の行政姿勢と、高校三原則のもとで育まれてきた「地域の高校」の意義を重視し、さまざまな制度改悪の中にあっても「地元の高校に誇りを持って通う」という点を守ってきた。今回の提言は、普通科を「種類」分けし、さらに総合選択制や総合学科等への転換をうたうという、まさしく「普通科つぶし」と地元の高校を破壊するものである。

3.文部科学省の「教育改革」そのまま受け売りの「提言」

専門学科等の「提言」には、新鮮味も京都らしさもまったく見られない。文部科学省が推進する上からの「教育改革」を受け売りした内容である。そして、10年前に府教委の「高校教育検討委員会」が出した答申と基調は同じであり、「多様で柔軟な教育システム」というコンセプトまで一致している。この10年間の高校制度の分析も総括も行わず、府教委のシナリオ通りにまとめられたものと言わざるを得ない。
まず専門学科について、職業学科は事実上京都府産業教育審議会に委ねる一方、「京都こすもす科」をはじめとする「新しいタイプの専門学科」は大いに充実することをうたっている。しかし、いわゆる「特色学科」の多くが、「これからの社会で活躍する人材を育成」する「特色ある教育の創造」を唱えながら、「有名」大学進学偏重の教育に邁進していることは周知のことである。
また、総合学科についても同様である。予算も教職員定数も保障せずに総合学科導入だけを押しつけた久美浜高校の総合学科の総括もなく、全国的にも総合学科の役割が疑問視されている中で、何ら科学的・実証的な検討もなく総合学科の増設をうたっている。中高一貫教育に至っては、審議過程でさまざまな問題が指摘されながら導入をうたうという矛盾ぶりを示し、「導入のねらいや育成する生徒像を明確にし、最も適合した設置地域と形態を選択すること」という中身のない無責任な姿勢をとっている。
私たちは、一方的な総合学科の導入や、教育の複線化と一部のエリート育成につながる中高一貫教育の選択的導入には反対の態度を表明する。

4.定時制・通信制の教育条件を改善せず、全日制教育の切り捨てをすすめる「多部制」導入に反対する

ここでも最近の定時制志願者急増に対する認識の誤りが明らかである。1997年の山城・洛北・堀川の3定時制の募集停止以来、京都市内の定時制志願者は急増している。また、朱雀高校通信制の生徒急増は一刻も放置できない状態にある。現在の定時制・通信制の志願者には、全日制の募集枠が狭まったことでやむを得ず志願している生徒や、全日制を退学してきた生徒が多くなっている。府教委は、全日制を志願しながら「不本意入学」する生徒が多いことを理由に定時制つぶしを強行しながら、全日制の募集定員を機械的に減らし続けてきた。また前述のように、全日制では進学中心の競争と管理の教育を強めてきた。こうしたことが今日の定時制・通信制教育の困難を生みだしてきたのであり、これまでの府教委の施策に対する反省も批判的視点もない「まとめ」である。
「まとめ」は、午前部・午後部・夜間部などを併設する多部制・単位制の定時制高校を無批判に設置することを提言している。多部制高校は、定時制・通信制への入学生増加の原因に目をつぶり、いわば「対症療法」として持ち出されている。他府県では小規模な定時制高校を統廃合して設置する、いわば教育リストラの一つとして設置されているものでもある。いわゆる「3年卒業制」や「無学年制」の問題点、定通併修や大検・資格検定の単位認定などの教育上の問題点、志望倍率の上昇による定時制高校の序列化などが問題となっている。「柔軟なシステム」でニーズが高まっているなどと安易に評価すべきものでないことは明かである。
また「まとめ」は、生徒急増問題が深刻な事態となっている通信制の現状と解決の方策について、全く欠落したものになっている。さらに、全日制と定時制・通信制の併設にともなう教育条件の劣悪化の改善は、従来から私たちや現場教職員が求めてきたことである。それを単独校の建設のみにすり替えようとしている。
今求められていることは、全日制を希望する生徒たちにその門戸を広げるとともに、定時制・通信制教育を必要とする生徒たちの教育を保障するきめ細かな教育条件の整備である。それこそが父母・府民の願いであり、行政の責務なのである。

5.子どもたちをさらに過酷な受験競争の嵐にさらす「入学者選抜の在り方」

入試選抜のあり方について、「まとめ」は競争原理にもとづく入試の「多様化」を打ち出している。
第1は、総合選抜制度つぶしの意図を明確にしていることである。
京都市内の「バス停方式」や入学校の決定過程の複雑さなど、類・類型制度のもとで起こっている現行の入試制度の問題点をすべて総合選抜制度の責任にして、葬り去ろうとしている。「入学者選抜」という枠の中での制度である以上、総合選抜制度が完璧な制度ではないが、公立高校の格差を作らず、地域の高校として子どもたちに等しく高校教育を保障する上で重要な役割を果たしてきたことは明らかである。それを見ずに、今春の入試選抜から単独選抜を導入する山城通学圏のように、他通学圏にも単独選抜を拡大しようとしている。
第2は、「受験機会の複数化」や「特色入試」など、入試選抜の「多様化」を打ち出していることである。
「受験機会の複数化」とは、推薦入試や二次募集とは異なる制度で、現在導入している府県では、多くが各学校の裁量で定員を前期選抜・後期選抜に分けて実施するものである。「特色入試」とは、学力検査の実施教科の傾斜配点や工夫、調査書の活用の工夫や面接・小論文等の導入、独自入試問題の作成などをさしている。子どもたちの「ふるい分け」の機会を増やし、より一層の差別・選別と競争の激化を企図するものである。また、こうして格差をつけられた高校が、地元からも見放されて廃校に追い込まれるという、高校つぶしの合法化にもつながる悪どい方法である。
第3には、「学校や学科の選択肢を広げていく」ために通学区域の拡大をうたっている。郡部などでは深刻な問題となっている長距離通学を容認する内容である。
こうした改変が、入試の複雑さと過酷な受験競争を一層激化させることは明かである。「選択の拡大」「希望する学校を選べる制度」を標榜しているが、すべての生徒に保障されたものでないことは自明のことであり、この「選択」をめぐる競争の激化が中学校の教育をさらに歪め、「不本意入学」を増加させていくことになる。まさに選択なき「学校の選択」、自由なき「選択の自由」である。
私たちは差別・選別・競争を一層激化させる入試制度の改悪に断固反対するものである。

6.府民が求めているのは高校つぶしではなく、30人(少人数)学級の実現で生徒の学力・ 個性を伸ばす教育を行うこと

今回の「まとめ」では、「適正規模の確保」と「適正配置の実現」を口実にかってない規模の府立高校つぶしを打ち出している。新聞報道では、小寺座長は「小規模校は統合せざるを得ない」と結論づけたとされ、また「現時点では、統廃合で五、六校が廃校になるとされる」と報じている。また、養護学校や定時制・通信制単独校への校舎転用などで、「すでに候補校の名前も挙がっている」としている。子どもたちや父母の切実な願いをうち砕く高校つぶしの計画が、学校現場や府民に隠れてすすめられ、しかもそれが養護学校の新設等とリンクしているとすれば重大な問題である。府教委は直ちに闇の中での計画遂行をやめ、府民に明らかにすべきである。
さらに、私たちは次のような致命的な問題を持つと考える。

第1に、「学級定員」の改善に全く触れず、現行の40人学級を前提に考えていることである。これだけ全国で少人数学級を求める声が高まり、それに応えようとする行政の努力も行われている中で、まったく時代遅れのものと言わなければならない。

第2には、今回の府立高校つぶしの統廃合計画が30人(少人数)学級の実現やマンモス校解消の願いをうち砕くことである。私たちの試算では、公立高校で2003年度から30人学級を実現するためには、2001年度の学級数から80学級程度増やす必要がある。それは生徒数が減少する今だからこそ、財政的にも実現が可能なのである。府立高校つぶしがそうした願いを無残にうち砕くものであることは明白である。

第3に、何の根拠もない「適正規模」論を展開していることである。望ましいとしてあげている「8学級程度」の高校は府立高校全体の半数にも達しない。そして、8学級以下の小規模校であってもさまざまな努力のもとで日々の教育活動が展開されている。結局「適正規模」論は、「少子化」を理由に学校統廃合をすすめる教育リストラの理由づけにされているのに過ぎないのである

第4には、増え続ける公立高校不合格者の問題の解決にまったく逆行することである。京都全体で2千人以上、京都市通学圏でも1千人近い子どもたちが公立高校全日制を不合格になっている。府立高校つぶしが、希望しても高校に行けない子どもたちをさらに増やすことになるのは確実である。
そして第5には、府下に設置されている分校について、その設置経過や地域で果たしている役割を全く無視して、生徒減少だけを視野に入れて廃校を打ち出している。
このような子どもたちや父母・府民の願いを真っ向から踏みにじる府立高校つぶしは絶対許せるものではない。

障害児教育部会の「まとめ」について

1.養護学校増設は府民の運動の成果、しかしほど遠いノーマライゼーションの実現

新しい養護学校建設を含めた校区再編の方向を打ち出したことは、この間の養護学校の大増設を求める運動、府下の自治体への働きかけ、そして、人権問題にもなっている通学条件の貧しさに対する府民的批判が、府教委の姿勢を転換させたという点で、大きな成果ということができる。しかし、府下全ての学校において課題となっている養護学校の大規模化、1時間を超える通学時間を根本的に解決する再編案が出るかどうか、しっかり見極める必要がある。
南部は、少なくとも宇治・城陽・八幡の3地域に建設が必要であり、ノーマライゼーションを推進するなら、さらに通学時間の大幅短縮、つまり、校区の大幅な縮小が必要である。現実を抜本的に解決する、将来を見通した展望の持てる学校建設の提言が得られなかったことは非常に残念であり、今後、さらに養護学校増設の府民的とりくみを強めていかなければならないと決意を新たにする次第である。

2.青年期教育全体の中に位置づけるべき職業教育

職業教育に関して、盲・聾学校は、単なる学科問題にすり変えてしまっていること、養護学校は「ふれあい・心のステーション」のお手盛り的評価にとどまり、後期中等教育がかかえる諸問題の中に職業教育を正しく位置づけることをしない、極めて重大な認識の欠落が露呈されている。まさに、府教委の描いたシナリオの範疇の結論でしかない。
高校における障害児学級の設置や、専攻科設置など、21世紀を見通してあらたに、障害を持つ子どもの育ちの場をどう保障していくのかの観点が全く見られない。障害のない子どもと同じ権利を持つことがノーマライゼーションの基本とされるが、高等部教育の場の拡大・充実の方向性を持つことが必要である。

3.現場の声を聞き、医療的ケアの積極的条件整備を

医療的ケアについては、これまで国の動向を見てと言ってきたが、「まとめ」では、現場の努力の追認にとどまりつつも、子どもが快適に、そして教職員が安心してケアできることが大切という認識は評価できる。しかし、具体的には何も示されておらず、医療スタッフの巡回指導だけでは不充分であり、小児神経科医の校医としての位置づけの重要性、養護教諭の充実など、教育条件の充実に関わる点について触れられていない点は、委員の声としてあげられてはいるが、不十分さを残している。教育条件の拡充なしには、ガイドラインだけが一人歩きし、安上がりの訪問教育に追いやられてしまうなどの危険性がある。今回、巡回指導が一つの形として提言されているが、巡回指導だけでは、実態から見れば決して十分な対応はできない。さらに現場の声にしっかり耳を傾け、積極的な条件整備を行うよう要求していきたい。

4.病弱児の後期中等教育充実を

病弱教育の問題については、現在の病院隣接の病弱養護学校への通学制を検討していくことなどが報告されており、新たな展開が予想される。しかし、長年の高等部設置を求める声は全く反映されていない。病弱児の後期中等教育のありかたが見えないままである。また、通学保障についても触れられておらず、ここでも病弱児の教育権を保障する点からどのような条件整備が必要かの認識が示されていない。

5.行政の責任で安心してずごせる放課後と長期休暇を

学校五日制にともなう地域における生活に関して、市町村に対する府としての働きかけの方向性が見えてこない。また障害児学童など、具体的な課題への提言が全く見えない。全国に先駆けて始めた季節療育事業としての障害児学童は、一施設に年間35万円という補助金だが、この10年近くも変わっていない。他府県では、障害児学童や小学校の学童保育への受け入れなど、放課後対策事業が進みはじめており、京都府の施策の大きな立ち遅れが、この点でも明らかである。
「まとめ」には、障害児学校の人的資源と称してボランティアとして教職員を駆り出して済ませようという意図が明らかである。これは行政の責任を免罪するとともに、教職員の専門性を高めると言いながら、一方で、十分な研修の機会を奪うという二重の困難をつきつけることになる。

6.寄宿舎設置は父母の願い

寄宿舎について、私たちはその教育的な意味、福祉的要素の両面から、すべての子どもに必要に応じた寄宿舎教育が必要と考えている。障害児教育は単なる教科や職業教育にとどまらず、じっくりと生活を通して学ぶことが非常に重要である。寄宿舎は、まさに生活教育の場であり、子育て支援センター的な役割を果たしている。通学問題だけで寄宿舎をとらえるのではなく、これまでの実践の蓄積と保護者の要求に耳を傾け、すべての養護学校に寄宿舎を設置することを要望したい。

7.あり方を論じなければならない課題は山積している

以上のように、「まとめ」は、障害児教育の課題を府教委の都合で極めて限定して議論してきたうえ、結論として21世紀へのあり方を示すものとはとうていいえないものである。私たちは、府教委が真に子ども・保護者・教職員が展望の持てるプランを示すことが必要だと考えている。
おわりに~あらためて問われる閉ざされた「懇話会」のあり方~

私たちは、「懇話会」が京都の教育の将来にかかわる検討を行うことから、きめ細かな公聴会の開催や学校現場からの意見聴取など、府民に開かれた「懇話会」とすべきことをたびたび申し入れてきた。しかし、こうした当然の声も全く取り入れられず、子どもと学校のかかえる困難の実態分析と原因追及もなく、結果的には府教委の施策に「お墨つき」を与えるためだけの「まとめ」になっている。府教委は「ホームページで公開している」「府民の意見を募集した」というが、まったく形式的な「公開」と言わなければならない。
例えば「土佐の教育改革」を掲げる高知県では、行政・県民と教職員組合が壁を取り払って教育の問題を論じ合っている。すべての学校に「開かれた学校づくり推進協議会」を置き、教職員・父母・住民はもちろん、小学生を含めた子どもたちも必ず参加して学校と教育について対等・平等の話し合いをすすめている。これからの教育に求められるのは、教育にかかわる人々が話し合うという粘り強い努力である。全国的にもこうした努力が地道にとりくまれ、大きな流れになっている中で、あらためて「懇話会」と府教委の非公開性、非民主性が問われなければならない。
今回の「まとめ」が、21世紀の京都の子どもと教育の未来を託すことができないことは明かである。私たちは教職員はもちろん、広範な府民にこの「まとめ」の学習運動をよびかけたい。そして、子どもたちを含めた広範な府民が、私たち教職員とともに「これからの府立学校のあり方」を模索し、文字通り地域から子どもと教育を育てていく共同のとりくみを作りあげていくことを提唱し、そのために全力をあげることを表明するものである。

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