京都府高青年沖縄平和ツアー2010--その②

 

シーサー

京都府高組合結成60周年プレゼンツ  

 沖縄平和ツアー。   

       日記風の報告レポートと感想です。    

     

県立平和祈念館

  12月26日(月) 14:30 県営平和祈念公園着。高大な敷地の中にある資料館の中で、沖縄戦の様子を紹介している。中には米軍が壕に火炎放射器をあてて、壕内を焼くシーンも出てきたが、カラーの映像であったことが信じられなかった。国力の違いをそこに見た思いがした。さらに奥の「証言の部屋」には、庶民が沖縄戦のときにどう逃げまどっていたかをつづった巨大な本(?)が、1メートル弱のサイズで50ほど並んでいて、閲覧できるようになっている。読みふけってしまった。半日かかっても読み切れないほどの量だったが、時間がなくて断念した。携帯をバスに残したまま、集合時間になっても資料館から出てこない若い母親の先生がいたのもうなずける。  

   

平和の礎(いしじ)と資料館

 資料館の海側は15年戦争で命を落とした沖縄出身者と、沖縄戦で命を落としたすべての人約20万人の名を刻んだ平和の礎。 知人のおじさんの名前もあった。参加者の女性も「親戚の人の名前を探せた」と報告したくれた。

  

   

シューサイド・クリフ

   資料館裏手の海岸は米兵たちが「シューサイドクリフ(自殺の断崖)」と呼んだ絶壁。降伏は恥だという「先陣訓」がしみついて いたため、多くの人が追い詰められて、崖から身を投げたという。
 

 

 

ひめゆり資料館入口の記念碑

   16:20 ひめゆりの平和祈念資料館着。ガイドのKさんが、「映画になったりして、観光名所となってしまったため、周辺に少し違和感がある」と車中で紹介してくれたように、派手な看板のみやげ物屋や食べ物屋が道路の両側に林立していた。      

 「ひめゆり」は植物のことではなく、沖縄県立第一高等女学校の校友会誌「乙姫」と沖縄師範学校女子部の校友会誌「白百合」が、学校併置によって、校友会詩も「姫百合」となったことによるという。この「ひめゆり同窓会が独力で寄付を募り、建てたのがこの資料館です」とこの夜お話しをしてくださったひめゆり学徒隊の生存者Uさんにうかがった。
 
   資料館を入るとすぐ、沖永師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の教師・生徒が、校庭でこちらを見ている全体写真が展示してある。    翌日、ガイドをして下さった元中学教師のIさんが「あれは、どうして全員でこちらをむいているか、わかりますか?」と参加者に質問された。「宮城遙拝をしているです。あの写真が入口に掛けてある意味を考えて下さい」とも。
 
  館内には生徒222人、教師18人のあわせて240人の個人写真が名前とともに掲示してある。このうち、沖縄陸軍病院に動員されていたときに136人、在地部隊その他で91人のあわせて227人が亡くなられている。実に生存者13名だ。このうち、米軍が間近に迫った1945年6月18日の「解散命令」によって、米軍の包囲する戦場に放り出され、その後の数日間で亡くなられた方が100余名。約半数がその数日に集中している。
 
日没が、本土より1時間以上遅いように感じた。なかなか暗くならない。 
  
 18:20 ガイドのKさんと分かれて、ホテル着。 
 
 19:00 ひめゆり学徒隊の生存者Uさんからお話を聞く。
       Uさんのお話しは別の機会にまとめて。

オリオンBeer

20:40 ホテル近くの沖縄料理が食べられる居酒屋で、夕食交流会。    

 

    

  

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